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園芸に凝る

久しぶりにブログを書いてみようと思った。20年2月以来だから1年5ヶ月ぶりくらいだ。

ピアノは内藤晃先生に習い始めて約1年ほど経つ。だいぶ腕は上達したと自覚できる。
自転車は、梅雨時は行こうと思う日に行けないことが続いて3週間以上行っていない。
絵はだいぶ長いこと描いてない。昭和残侠伝の高倉健と池部良の2人を描いたっきり。

と言う具合で現在進行形の老後を乗り切る3本だての趣味の状況は上記の如く全て同じ字数で語られた通り。(一部加筆、ピアノに関しては、クラシックに目覚めて先生に着いたのは4年前、最初はヤマハの教室だったが先生と反りが合わず一年未満でやめて、次のMGSという教室に変えて浜田先生に教わる、そして1年前、内藤先生に出会い本格的にピアノの道に邁進中。ただし浜田先生にはその後も色々と指導を受けたり誘われて発表会やコンサートへ行ったりしている。)
そこへこの度、園芸という趣味が加わる事となった。

園芸に凝るきっかけは落花生の栽培を始めたことによる。落花生は元来僕の大好物なのだが、店で売られている千葉産の落花生は目の玉が飛び出るほど高い。中国産の優に5倍以上はする。仕方なく普段は中国産のものを食べているのだが中国産のものはとにかく風味がない。たまに千葉産の落花生を食うと、落花生はやっぱりこういう味でなくてはいかんよなーと深く考えさせられる。しかし値段を見るとこれっぽっちしかない豆にこんな金払えるかという気持ちになり、つい中国産の物に手が伸びてしまう。ただ、そこに含まれる保存料などの有害物質が心配ではあった。そこで自分で作れば安く良質な落花生が手に入るのではなかろうかと考え、畑を作ろうと思い立ったわけ。ネットで見ると、落花生を栽培するのは初心者にとってもうってつけで、病害虫に強い上に手間もそれほどかからないと書いてあるのを読んで、これは一度ダメ元でやってみようではないかと思ったのが始まり。うちの庭で土がいじれるのはかなり限られたスペースしか残っていないが、まあ、三日坊主で終わるかもしれないことでもあり、それで我慢することにした。先ず作物を育てる以上、土壌作りから始める必要があったのでフルイを買ってきてスコップで掘り返した土を少しずつ入れては小石や根っこを刎ねてふわふわの土だけにした。そこへバーミキュライトや赤玉石、鹿沼土などを適当に混ぜ、窒素が少ない化成肥料と苦土石灰、それに浅い部分には殺虫剤も混ぜ込んでごく適当だが畑らしき土を作った。落花生は過栄養だとうまく実をつけないとのことで培養土は入れていない。水捌けが悪いのを嫌うとあったので畝を作り少し盛り上げる床を作った。それを1週間放置させて肥料と土を馴染ませたところへマルチングシートを被せ、千鳥状に穴を開けてタネ豆を2粒づつ指で押し込み発芽を待った。何日かすると全ての豆から発芽したので、カラスに食われない様金網でカバーをしてさらに10日後発育の悪い方を間引いた。現在はマルチをひっぺがす時期を伺っている。落花生は花が咲き終わると子房柄という根っこの様なものが枯れた花から土の中に伸びて土の中で鞘を作る。この様子を見て昔の人が落花生という名をつけたそうだ。マルチングシートは子房柄が下に向かって伸びる時邪魔だから取り外す。それまでは雑草が茂るのを防ぐ意味でギリギリまで張っておく。収穫は11月ごろなので先が長い。

次に、玄関先に植えたアラカシが繁茂しくさってモッサモサの樹形になってしまっており、毎年植木屋さんに言っても遠慮して少ししか切ってくれないため自分の手でバッサリ大枝を切ってしまおうとこれまた思い立った。脚立で下の方から順に大枝を切ってゆく。隙間ができると梯子の形にして徐々に上に移動しながら切ってゆく。最後は長くした梯子でも届かないところは枝に足を移して背伸びしながら剪定用鋸で計10本以上切り落とした。よく切れる鋸を持っていてよかった。合計ではすごい重量になった。その作業と、葉のついている小枝と葉のない大枝に分け清掃局が持っていってくれる長さに切りそろえ束ねるのに2日かかった。スッカスカの見通しの良い樹形に戻り、しばらくここ数年は安心していられそうだ。大枝をカットした断面部分にはあらかじめ買っておいた癒合剤を塗っておいた。葉や枝は一度にゴミで出せる量が限られるので全て捨て終わるのに2ヶ月以上はかかりそうだ。

次に玄関脇の今までサツキがうわっていた植え込みを花壇にしようとまたまた思い立った。サツキの植え込みなんぞと言うセンスもへったくれもないしょぼい植え込みを華やいだ花壇にすべく、先ずサツキを引っこ抜き根を撤去してここでも土の改良をすべく、畑でやったのと同じ作業をくりかえした。ただし、ここでは落花生用の窒素の少ない肥料の代わりに培養土を入れた。小石の他に根っこの端切れが無数に出てきて篩をかける作業はかなり手間をくった。1週間後、近くの花屋でポット植えの安い花や苗木を買ってきて適当に植え込んだ。グランドカバー、色とりどりのインパチェンスやペンタスなどの花類、低木としてヤツデやシャクナゲ、テーブルヤシなどにフウチソウやキチジョウソウなどでごった返している。花の株も1週間後ピンチして花芽を増やす作業をしたので早晩はみ出さんばかりの勢いになるであろう。そうなったらなったで鉢植えに株わけして玄関前のベンチに飾るのも良いと思っている。

ここまでで、各種肥料や各種の土、薬剤、栄養剤、ハサミ類、スコップ、小クマデ、フルイ、ジョウロなどの園芸用品が爆発的に増えたのでそう言うものを集めて整理する必要が生じ、またまたまた思い立ち、たなや整理ボードを手作りして綺麗に仕分けすることにした。これでいつでも必要なものを、余分なものをどかさず一目瞭然に判別して取り出すことができる様になった。

また、これに伴い玄関脇の花壇にとっては些か風通しが悪いと感じられたので、庭に出る扉にガラリをつけて通風ができる様にしたらよかっぺと思った。これまた建具屋さんにやらせるとなると余計な出費がかかるので自分で作ろうとまたまたまたまた思い立った。直近に手に入れた精密作業用のミニテーブル電気鋸を使えるのが幸いした。必要な木材を買ってきてガラリの角度用ガイドを多数作り、それを両サイドにのり付けし、これまた正確な長さにカットしたガラリの羽を規則正しく埋め込んだ。めっぽう重い大平板のフラッシュ扉に正確に300X1400ミリのラインを引き電ノコで慎重に穴を開け、そのガラリを落とし込んだ(ガラリの製作には今話題のゴリラという接着剤を使った。)穴寸法は一部多少やすりで微調整する必要はあったが、金槌でトントンと軽く叩くとすっぽり穴に収まった。本職の仕事のようだ。ラッカーの吹き付け色は若干違ったものの目を凝らしてみるところでもないので我慢することにした。初めてやったことなので、作り始めから色塗り完成までに3日もかかったが大変安く上がった。

まあこんなことで、すっかり園芸に凝ってしまった感がある。半分は大工仕事、植木仕事ではあったが。・・今後は小さいながらも花壇の管理が一年中待っているし、落花生の収穫時の反省点は多々あるであろうから来年に向けての計画などで今後結構暇は潰せそうだ。今まで3本立てだった趣味はこれで4本立てとなったわけだ。落花生は考えると用具を揃えたり土や肥料などの出費が思った以上にかかり、多分一年目は千葉産のものを買うのと費用的にはそれほど差がないかもしれない。でも、2年目は今年の反省点を改善し、ただ同然に大量のピーナッツが食えるようになるであろう。絶対にそうする自信はある。
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色鉛筆画 第26作目


色鉛筆画最新作は、宮崎勝央さん(アルトサックス)のポートレート。実は、このグループがカルテットなので 4人全部入った写真を撮ったんだが、いざ描く段になって急に面倒臭くなって縦長の構図に入る2人だけの絵にしてしまった。2017年9月、新宿のジャズスポットJ で色鉛筆画の個展をした時、この宮崎さんがやけに僕の絵を褒めてくれたのに気を良くして、宮崎さんの絵を描かせてほしいと言ってしまったのだ。写真を撮ったのは2018年に入った頃だからちょうど2年ほったらかしてあった計算になる。中々着手せずだらだらときてしまったがリュックのポートレートを描き上げたので勢いに乗って描いてみたわけ。

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最近、FC2を使ったブログの挿入写真は縦長の写真を使うと横に寝てしまい困っている。ネットで調べるとマウスの右クリックで直す方法が載っているのだが、残念ながら今はパソコンではなく iPad でやっているので右クリックがない。仕方がないので縦型の写真をブログに載せるために、縦型に写真を置いてスマホで撮るとき横型の構図になるよう撮ってそれを使う方法をとっている。そのため余分な余白が左右にできてしまうのだ。気持ちは悪いが仕方がない。

19cm X 25cm のわりかし小さな絵だが結構うまく似顔絵になったと思っている。
ところで、今回画期的に省力化することに成功したのは黒の塗りつぶし部分だ。黒い部分を塗りつぶすとなると黒 青 黒 赤 黒、という具合に何遍も力を入れて塗りつぶさないと真っ黒にならなかった。それが最初に色鉛筆画の手法の手ほどきを受けた金将二先生のやり方だったから。しかし、今回は黒い部分はあらかじめ黒い水彩絵の具を筆で塗って乾かし、その上に黒い色鉛筆で一回塗るだけで真っ黒になる方法を思いついた。黒に限らず濃い色を塗るときは紙のザラザラが原因でどうしても細かい塗りつぶせない部分が白い点々になって無数に残ってしまうため、それを最終的に一つ一つ鉛筆の芯を尖らせて拡大鏡で見ながら潰さなければならず。それがこの色鉛筆画を描くときの最大のエネルギーの浪費となっていた。それが解消されたのだから今後はわりと気軽に色鉛筆画を描こうという気になるかもしれない。これが金先生に知れると、純粋な色鉛筆画ではないと嘆かれるかもしれないが、合理性の点から考えると自ずとこの結果に収斂するというものではなかろうか。ただ、水彩で塗るとき紙が濡れると、ゴワゴワに波打つことになるのを避けるため、あらかじめ紙全体を濡らして製図台のような平滑な表面のうえに貼っておかなければならない。障子紙を張るときの要領と同じで、濡らした紙が乾けばぴーんとテンションがかかって多少水彩で濡れたくらいではゴワゴワに波打つことはない。それが若干手間を食うといえば食う。でも仕方がない手間だ。前々回のパステルを使う手法とこの黒い部分に水彩の黒を使う手法を以ってすれば今後の色鉛筆画の所要時間の短縮は大きく前進することになるであろう。




色鉛筆画・第25作目

うちの息子がアメリカで長年お世話になったリュックの絵を描いてみた。彼はもともと僕のフランス時代の友人。去年僕と家内がニューヨークに行った時も家に泊めてくれたり別荘に連れて行ってくれたりで大変世話になった。
その彼が日本にスキーをしにやってきたので渡すことにした。

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影の部分の描き方は難しい。この絵でもそうだが黒鉛筆だけで影を描くとカビが生えたような画質になってしまう。それを避けるために赤を混ぜると良いのだが、それでもやはりカビが生えたようになってしまうのを完全には防げない。初めの頃色鉛筆画に関して教示を戴いた金将二先生にまた教示をいただきに行ってみようかと考えていいる。でもなー、宇都宮だから遠いんだよねー。

色鉛筆画 第24作品目

ちゅうまけいこ、と全て平仮名で書くことにしているジャズ ボーカリストがいる。ベースの高尾さんやアルトサックスの南雲さんとも親しい女性だ。初めてライブを聴きに行った時いろいろ親しく話して仲良くなったことだし、ポートレートを描きたくなったのでお断りして描かせてもらった。ただし、南雲さんも常々描きたいと思ってはいるが、もうグループの一員として描かせてもらっているので ちゅうまさんは単独で描くことにした。とても小さなポートレートなので描く絵も小さく、したがって顔も小さい。だから似顔絵として描くのは難しい。撮った写真がどれもタイミングがずれておりいい写真を参考にできなかったのも一因だが、絵が小さかったのがいちばんの原因で案の定あまり似せることができなかった。叱られるかもしれない。うちにあった小さな額に入れたので、いつかまたライブを聴きに行ったときにでも渡そうと思っている。
この頃どういうわけか写真がこのように横向きになってしまうので困っている。
いろいろネット上でそれを直す方法が出ているが iPad には右クリックがないので解消できない。

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年の初めのヒルクライム

1月3日はまだ正月で都心がガラガラだろうということで、都心を突っ切って千葉方面に行った。海岸に沿ってデズニーランドを越えてその先の原木中山の少し先で引き返してきた。もう少し行くと息子の嫁さんの実家がある東中山だったが別に挨拶に行っても仕方ないのでこだわらず戻ってきた。実は息子は暮れに婚姻届を出したがまだ披露宴はしていない。嫁さんはもうすっかりうちに溶け込んでいて気さくないい女性なのは知っていたが、去年の12月に先方のご両親も一緒に会食して大変話のしやすいいい人たちだということが分かって家内共々喜んだ。

そして、1月9日は年初めのヒルクライムに行った。行き先は相変わらずの大垂水峠だ。ただし、高尾についた時、ついでに高尾霊園の激坂もおまけに登ってみようと思い立ち立ち寄った。ここは親父が埋葬されている霊園だがその奥にはすごい激坂がある。短いが面白い。初めて突きあたりまで行って戻ってきた。高尾山道の入り口で高尾まんじゅうを三つ、温かいのを買って毛氈を敷いた縁台でお茶と一緒に食った。大垂水峠を登り始めると先ほどの高尾霊園の激坂で脚を食ってしまったと分かり後悔した。脚が回らない。スピードが上がらない。18分55秒という悲惨なタイムになった。超上級者はここを8分で登るのだから倍以上の速さだ。そこから一旦相模湖へ下り、さらにその先の激坂をふうふう言って登った。正月の食い過ぎと脚の鍛え方がなっていないということが判明した。津久井湖を過ぎ、脚はダメになっているがもうタイムは気にせず城山湖にも登ってしまえというヤケッパチの気持ちで都井沢を左に折れる。これまたバテ気味で登り切る。城山湖は満々と水を溜めていた。ここは夜、水を津久井湖から組み上げ昼間それを元に戻しながら(逆かも)発電する人工湖だ。それなりの高度がある。帰りの尾根幹はへろへろだった。もっとひどかったのはいつもなら全力で漕ぎ上がる世田谷通りの最後の成城の坂をやっとこさっとこの体たらくで登ったことだ。記憶のある限り最悪の体調だったといえる。あの高尾の激坂がどうやらずーっと尾を引いてしまったようだ。もう懲りた。114キロ、7時間半かかった。でも、強風が吹いていたからか、くっきりとした富士山の姿を道中色々なところで眺められて良かった。

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プロフィール

和田 稔

Author:和田 稔
web:http://www.atelier-w.co.jp/

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