Strava Art その4 考える人
Strava 一筆(ひとふで)書きをこれからは Strava Art と呼ぶ事にした。
そのStrava Art の4作目(トランぺッターを描き直したので本当は5作目なのだが)はロダンの地獄門で有名な「考える人」にした。フランス語で Le Penseur、英語では The Thinker というらしい。だから日本語でも「考える人」と呼ぶ事になったんだろう。ネット上にはこの像を写真にした画像は数しれず出てくるが、この塑像は見る角度に依って随分と様相が変わってくる。左側の少し下から見た画像を参考にした。
午前中の10時半頃に家を出て夕方の4時頃まで走る。この5〜6時間を3回繰り返し完結した。間に二日走れない日を挟んだので5日目に完成した事になる。今回の絵では手の指とか足の指が5本づつに分かれているところが難しかった。それに一旦行き着いてバックする線が多かったので大変時間が掛かった。やった事がない人には分かりにくいだろうが行った線を辿って帰ってくるときは本当に細心の注意が必要なのだ。

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いつも世田谷区の道路ばかりで Strava Art を作っていると、これだけ細かにいろいろな道を走ったので非常にしばしば同じ道を走る事がある。しかし、今走っている道路が全体のどこに位置している何と言う道路かと言う事になるといつも地図を見ながら走っていると言うのに意外と分からないでいる事が多い。自分で言うのもなんだがその集中度は凄まじいものがある。何かの拍子に、ああこの道はここかー!と言うように急に気がつく事がよくある。それにしても、地味な作業だ。紙の地図を折り畳み、それをハンドルの上に固定したアクリル板にはさんで街路を走っているのだから、どう見ても時代遅れのアナログおじさんにしか見られていないなと、痛いように感じる。歩道で止まっている時や、その脇の車窓からコッチを見られているなと感じるときなど、厚顔無恥で知られるこの僕ですら恥ずかしいのだから、普通に恥と言うものを知っている人は絶対にやらないだろう。iPad と iPhone が2つあればそのような他人の視線を気にする必要はないのかも知れないがお金の掛かる事は家計的に許されていない。これだけの為に iPad を買うなんて事をカミさんに向かって切り出せるか、むりむりむり。何しろ自転車で走りながら見ているのは紙の地図だからね。この様な恥ずかしさに耐えて、というか鈍感力で突破出来る人は僕くらいの高齢者にならない限り絶対無理だろう。
この Strava 画像には3時間18分と言う表示が出ているが実際には17時間が費やされているのだ。これに対してはいつもおかしいと思っている。いくら何でも走っている時間が止まっている時間の5分の1だというのはおかしすぎる。そうは言っても、立ち止まったままジッと考えている時間がめちゃくちゃ長いのは確かだ。つまりいつもStrava Art をやっているときは僕自身が「考える人」状態になっていると言う事だ。片足付いて停まったまま地図とにらめっこしている時、道行く人は、一体この人はどうなってしまったんだろうと思っているに違いない。「この人、俺が100m手前に居たときからああいう姿勢で静止していたのに今通り過ぎようとしているときも同じ姿勢で居るよ。何をしているのかと思ったら地図とにらめっこしていやがんの」。これってどう考えてもおかしいでしょう。今までも数回、親切そうな人から地図でどこかお探しですかと声をかけられた事がある。絶対やっては行けないのは、特に若い女性に追い越された後自転車で進んでその人を追い抜いた途端停まる、なんて事だ。これは傍目から見たら怪しい行動だと思われても不思議ではない。ロリコンと間違われないように小中高の女の子のダベっているところでも停まる事は避けなくては行けない。描き終わった線が行き止まりで戻らなければならないときは、さっきの女子高生達がたむろしているところで又停まるようなことはしたくてもできない。つらい。でも、警察に通報されかねないからそんなときは独り言を言う。地図を凝視したまま女の子の方は絶対見ないで「あれ、ここで良いのかな。うん、ここで良いのだ」とかなんとか。つらい。
紙の地図とスマホの地図では同じ事を示しているのに表記が結構怪しいところがあったり、食い違いがある事が多い。スマホ上の地図はくっきりとしている上に拡大出来るので間違う事はないのだが、その点、下絵が描いてある紙の地図はというと、道の線がとても薄く印刷されており、それが下絵の鉛筆や色鉛筆の何度も描いたり消したりした線でぼんやりし始めていると見にくい上に、だいいち線が細かすぎて普段している遠近両用の眼鏡では読めない事が多い。そんな時は首から下げた拡大鏡を眼鏡の上に二重に掛けて見るしかない。紙の地図の道路は拡大出来ない為、一体次のポイントはこのスマホ上の地図のどこなのか判然としない事が多く、自ずと何十回も紙の地図とスマホの地図を見比べる事になる。5m、10mごとなら簡単なのだがもっとずーっと先の場合はここのことか、いやここだろう、いや違うそこの曲がり具合はここの事だろう、と延々と見比べ大会が続く。一事が万事こんな風に確認しつつ先へ先へと着実に歩を進めなくてはならない。走行中、スマホ画面上の線が走るにつれて徐々にのびて行くのだが、ふと気がつくと予め下絵に書かれた線と違う様に描かれてしまっている事に突如気がつく事がある。そんなときはつい大声が出てしまう。人が振り返るほどの。ルートラボで書いている線はいくらでも消す事が出来るが Strava では消す事が出来ない。「アー!」と叫んで舌打ちし、間違いの元のポイントまで戻って又やり直さなければならない。もしそこではしょってショートカットしようものなら、とんでもなくへんちくりんな線が続けて引かれる事になり、ますます取り返しがつかない事になる。ソ・レ・ホ・ド慎重にやっているのにも拘らず、つい微妙な角度や細い路地などを見間違えてついやらかしてしまうんです。
そんな苦労を何十時間も続けて一つの絵がやっと完成するのだ。ドライバーや通行人からの蔑みの視線に耐え、人生の黄昏(たそがれ)時期に入った残されたわずかな時間を着々と浪費しながら、これが完成したあかつきに只一言、他人(ひと)から「やったね」とか「がんばったね」とか言ってもらえる事だけを期待して描き続けるのだぜ。歩道にチョークで絵を描く浮浪者だって描き終えればその前で何日も日銭を稼げるっていうのに。・・・でもね、それがスポーツと同じ、趣味って言う蓋し人間的な高等な行為そのものなのよ。やっている本人は自虐的な事を言ってても、実は全く意に介していないのがその何よりの証拠なのだ。一つ描き終えると次はどんな絵にしようかと考えてしまう僕なのでした。
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